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東京高等裁判所 昭和41年(う)1898号 判決

被告人 吉垣松栄

主文

原判決を破棄する。

本件を大森簡易裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、原審検察官江幡修三作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人大島正義提出の答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、これに対し次のとおり判断する。

本件控訴の趣意第一、第二は要するに、原判決は被告人は本件交差点に入ろうとするに当つて徐行義務はなかつたと結論し、その理由として、本件事故発生の交差点が交通整理の行なわれていない交差点で、左右の見とおしのきかないものであることを認めながら、道路交通法第四二条はその規定自体が明示しているとおり、左右の見とおしのきかない交差点であつても、交通整理の行なわれているものについては適用されないのであるから、これに準ずる場合として、法律又は標識により明確、且つ、恒常的に交通方法の規制が行なわれている交差点についても本規定の適用は排除さるべきものである。例えば、道路交通法第三六条第二項第三項の場合、広い道路を進行する車両は交差点で徐行する必要がないと同様、本件交差点の如く被告人進行の道路と交差する道路には同法第四三条の公安委員会が設置した一時停止の道路標識があつて、明確、且つ、恒常的に交通方法の規制が行なわれている場合にあつては、同法第三六条の場合と同様に、同法第四二条の交差点における徐行義務は排除される。従つて、被告側には徐行義務はなかつたものであると判示する。然しながら、右は同法第四二条の解釈を誤つた違法があり、その結果は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免かれないと主張する。

よつて、所論に基き原判決を検討するに、原判決は所論の如き理由を以て、被告人には同法第四二条の徐行義務がないと断定しているを以て按ずるに、同法第三五条各項第三六条第三項第四項は交通整理の行なわれていない交差点において、亙に違つた方向からこれに進入する車両間、或は路面電車との間における優先順位を定めた規定であるに対し、同法第四二条は交通整理の行なわれていない交差点で、且つ、左右の見とおしのきかないものに進入する車両に対し、総べての車両並に通行者との間の危険防止を目的として徐行義務を課したものであり、前者の如く歩行者を除く車両相亙間の関係のみを規制したものではないのである。従つて、右法意に照らすと、左右の見とおしのきかない交差点においては、たとえ、交差する車両に対しては優先する場合であつても、そのために同法第四二条の徐行義務が解除される訳のものではない。又、同法第四三条は道路又は交通の状況により特に必要があると認めて公安委員会が指定した場所における車両等の一時停止義務を課し(通行人にはその効力は及ばない)、これと交差する道路の車両に優先通行を認めたに過ぎず、そのために優先車両に対し同法第四二条の徐行義務まで解除したものとは解し難い。

しからば、退路交通法第四三条の一時停止標識のある道路と交差する道路については、左右の見とおしのよし悪しに拘らず同法第四二条の徐行義務が解除されるとして、被告人に対し刑法第二一一条の業務上の過失責任を否定した原判決は、右各法条の解釈を誤り、その結果、法令の適用を誤つた違法があると言う外なく(昭和三七年一一月二七日東京高裁判決は本件と事案を異にする)、その結果は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免かれない。

控訴趣意第三は、原判決は運転者の業務上の注意義務に違反したか否かは抽象的、一律的に論定さるべきではなく、運転者として通常なすべき注意義務を遂行したか否かによつてその過失責任の有無を決すべきものである。例えば、不意に横丁から違法な高速度の車両が突進して来るであろうこと、運転者が酩酊して一時停止の標識を無視して無暴な運転をする等異常な出来事を予想して、これらの場合にも十分に安全であるように車を運転すべき義務を運転者に負担させることは不可能を強いるものである。本件事故の責任は挙げて一時停止の標識を無視して交差点内に暴走した被害者側にあつて、被告人には何等過失はないと判示するが、被告人に対し右方の道路から交差点へ進入してくる車両の有無、その動静等に注意を払い、交通の安全を確認して運転すべきことを要求するのは可能であり、何等被告人に難きを強いるものではない。本件では、被害者にも全く過失がなかつた訳ではないが、それを以て被告人の過失責任を否定する理由とはならないのであつて、原判決には被告人の運転者として遵守すべき徐行等の義務を履行しなかつた過失責任を看過した違法があり、破棄を免かれないと主張する。

よつて、記録を精査して按ずるに、前記のとおり被告人には道路交通法第四二条の徐行義務がなかつたものとして、本件事故の責任を挙げて一時停止義務を怠つた被害者に帰し、被告人の刑事責任を否定した原判決の認容すべからざることは前説示のとおりであり、本件交差点において被告人に徐行義務を認めることが決して不能を強いるものでないことも明らかであるから、原判決は前記各法令の解釈を誤り、延いて過失の認定を誤つた違法があるものと言うべく、論旨は理由があり、原判決は破棄を免かれない。

よつて本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八〇条第三八二条に則り原判決を破棄し、本件については被告人の徐行の有無、相手方自動車の前照灯、或は爆音等によりその接近を覚知し得べかりし地点等につき、なお審理を尽くし事実関係を明確にする必要があると認められるので、同法第四〇〇条本文に則り、本件を大森簡易裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 石井文治 目黒太郎 渡辺達夫)

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